AS, far as I know

PDD(ASD)の成人当事者(ヌルいオタク)が、固有の認知や思考について説明を試みるブログ

ほねおり随感~嬉しかった支援、医療編

こちらの記事はあなたの周りにも困っている人いませんか?みんなの世界自閉症啓発デーコラボ2016!ブログ編に参加しています。今年のテーマは「嬉しい支援」。

 

10月の末に足の骨を折った。それで今日まで通院が続いている。

本題に入る前に、改めて自己紹介をしておきたい。
私は三十路に入ってから確定診断を受けた高機能自閉症(以下、自閉症)の当事者である。一応成人する手前あたりで自分が発達障害者であるという疑いは得ていたのだが、紆余曲折があって最近まで専門医を受診できずにいた。
診断を出してくれた主治医によれば、注意欠如多動性障害(AD/HD)の傾向も疑われる、とのことだ。

自閉症は、一般的に「コミュニケーションの障害」「社会性の障害」「想像力の障害」として紹介される。
このうち、今回大きく存在感を発揮したのが、コミュニケーションと想像力の問題だ。
そして近年指摘されていることだが、「コミュニケーション」の手前にある、「感覚の障害」がかなり幅を利かせているように私は思う。


さて、本題である。
9時頃屋外で転倒した私は、救急車によって救急外来へ担ぎ込まれた。
この救急外来ではトリアージを行っている。そのため命に別状がないと判断されたらしい私は、実に4時間寝かされた。

AD/HDはこういう時辛い。待ち続けることが苦手なのである。
といっても親や先生に思われているように、「状況に飽きる」というのとはまたちょっと違う。
いつ呼ばれてもいいように、携帯電話で言えば「待ち受け」状態にしていなければならない。他のことを考えたり眠ったりしてはいけないのだ、そうしてしまっては、突然呼びかけられたときに気づけない。

そして自閉症の辛さは「これから何が起こるかわからない」というところにある。
医者が来るのか、看護師か、帰れるのか、泊まるのか、処置はするのか、レントゲンはいつ撮るのか。
未知の状況は神経を苛み続ける。せめて時計が見えたり「30分は待ってください」などと予測を与えてくれればだいぶ落ち着けるのだが。
折しもハロウィンが迫っており、エルサの仮装をした女の子が処置室にいる。私よりあの子の方が大変だろうなあ、せっかくの思い出の日に、などと考えを巡らせることでしのいでいた。

誤解を招かないように言っておきたいが、このときの医療スタッフが何か不親切だったとか不手際があったわけではない。
むしろ「本当はだめなんですけど」と便宜を図ってくれたことすらあった(ありがとうございます)。
しかし「本当はだめ」ということを犯さなければしんどいのか自分、という自覚はさらにしんどい。
なんとか次回の受診日を設定されて帰宅が決まっても、「ああ、これからこのしんどさが何ヶ月続くんだろうなあ」と思ってしまうのは致し方ないことだった。


受診は週明けであった。

まずレントゲン撮影がある。自閉症ゆえに自分の体をどう動かせば足が斜めになるのかわからないし、AD/HDゆえにその体勢でじっとしていることも苦手なのだが、まあまあ頑張った。
余談だが「じっとしろ」「動くな」と言われるとどうしてもぴくぴくしてしまう私だが、「今石化呪文掛けられたごっこ」とか「敵に見つからないように壁になる忍者ごっこ」とか一人こっそり開催しているとちょっと楽しくなってきて動かずにいられる確率が増す。苦手な方は一度試していただきたい。


2番目にして最大の難関が問診であった。
ここで「コミュニケーションの障害」「想像力の障害」と「感覚の問題」がパーティーを組んで襲ってくるのである。

たとえば、私は熱が出たときに「ぞくぞく」したことがない。
「ぞくぞく」という単語の意味を調べると、鳥肌が立ったときの感覚に似ているようだ。しかし、鳥肌が立ったときと熱が出たときの感覚はかけ離れている。
「寒気」というのがわからないのだ。熱が出たとき私は、皮膚の周りに何か肉襦袢のような余計なものがまとわりついているか、逆に、体の表面が冷えて、まるで「なくなった」かのような感覚を覚える。

このとき、内科医に「寒気はしますか?」と聞かれたら、普通に考えれば「しません」と答えるだろう。
だが、医師は「寒気がするかどうか」を知りたいのではなく、「熱が出ている感覚があるかどうか」を知りたいのではないか。

医師の質問を、言葉ではなく本来確かめたい意味で取る。
質問に合わせて嘘を答えろ、というわけではない。
もし今の私が熱を出したときに「寒気」を聞かれたら、「寒気というか、なんか熱が出ている時みたいにあつぼったい感じがしますね」と答える。

だがしかし、内科であればそういった、これまでの経験から意味を推測して答えをアレンジすることが可能だが、何せ骨を折ったことなど初めてだ。


最初から自閉症のことを前面に出しはしなかった。
しかし困ったのは、転倒したときの痛みについて聞かれた時だった。
「激しい痛み」「ずきずき」……感じていない。しかし痛みがなかったわけではない。
意を決して私は自分が自閉症であることを打ち明け、正直に次のように答えた。

「なんか足首がなくなったみたいな痛みがしました」

日本語としておかしい。なくなったものは普通痛まない。
しかし担当医は拒否反応を示すでもなく、「なるほど、そうなんですね! じゃあ、その後は? ここは?」と質問を重ねてきて、電子カルテにメモをしている。
「えっとそこ触られるとちょっと痛いです」
「きりきりって感じ? じわじわって感じ?」
「じわじわですね。あ、そっちは痛くないけど嫌な感じします」
「嫌な感じね、なるほどなるほど。では……」


のちに療養中ヒマだったので見ていた「総合診療医ドクターG」の描写で私は膝を打った。
担当医と私は、できるだけの情報を提供し合うことができていた。


次にハードルとなったのが、松葉杖の使い方である。実は運ばれた日に一度試していたが、運動神経のにぶいと言われる人にはわかっていただけるであろう、逆上がりとか一輪車をいきなりやれと言われた感覚に似ていた。
自分の体のどの筋肉を動かせば何が起こるのか、さっぱりわからなかったのだ。

しかしそこはさすが整形外科の看護師である。
「腕からまっすぐ、ここに体重がかかるようにしてください。まずここに力を掛けます。
こっちの足とここを同時に出します、はいせーの」
具体的な指示によるコミュニケーションと想像力への手助けの賜である。
横で見ていた(運ばれた日にお手上げだったのも見ていた)弟がびっくりするほど一瞬で会得した。

だがもっと驚いたのは、その後渡されたものだった。
今看護師が教えてくれた内容が、詳細かつ簡潔に書かれた図入りのプリントが用意されていた。
つまり今の指示は、自閉症である私のために特別に用意されたものではなかったのだ。


大学在学中に障害学の教官から言われたことがある。
「試験時間など、口頭だけでなく板書を併用する、指示をメモ書きにして残すなどは障害学生にだけ役に立つものではありません。
それを先生が行ってくれることによって、他の学生にとっても助けになるんです」

そうか。これがそういうことか。


その病院では他にも、受付を済ませると出てくる紙に「最初に放射線科にお越し下さい」と印字してあったり、待合室や会計窓口に進み具合の表示が出ていたりする。
これなら、障害があっても高齢でも助けになるし、そして健常な一般の大人にとっても便利だろう。

なんと院内無線LANまで解放されていた。ねこあつめや刀剣乱舞をぽちぽちしながら、私は待ち時間の苦痛が大幅に軽減されていることを感じた。
あとは呼ばれた時に気づきづらい問題だが、これはスタッフを捕まえてあと何人ぐらいで順番が来るかを聞くことで対策ができた。


その後主治医には、障害ゆえではあるが個人的な問題になる金銭の問題、また、手術で金属を入れる場合の感覚の問題が出る不安(当人は軽く見ていたが同行していたおかんが持ち出してくれた。さんきゅう)などにも何度も相談を重ねさせてもらった。そのたびに電子カルテに打ち込んでいてくれ、次に行ったときに「前聞いたこの問題がありますが」などと持ち出してくれることもあった。
三月で異動になるそうで、四月からの担当医にもよく引き継ぎをしてくれると言ってくれた。この場を借りて深くお礼を申し上げたい。


私がありがたかったのは、これらの配慮が、私が自閉症だから、障害者だから用意されていたものではないだろうと感じられたことだ。
この病院はあらゆる人のためにデザインされた結果こうなったのだろうし、主治医もおそらくではあるが、どんな患者が来ても傾聴される方なのであろう。

家族内でや教育、福祉の場では、支援を受ける際、「私がこんなだから手助けを必要とするんだ」という気持ちを持たずにいるのは難しい。
しかし本来、本人の責任のない、あるいは少しだけ責任のあるようなことで支援を受ける場合、引け目に思う必要はない。
この病院ではそれを感じずに支援を受けることができた。
またこのスタンスは、私が他のマイノリティと接する際の参考にもなる。


いろいろと発見の多かった骨折生活だったが、ありがたい支援について考える契機にもなった。